石田義昭の【飲食店 繁盛ダネ!】その八十六
「こだまでしょうか、いいえ誰でも」
2011・3・11の震災以来、耳にたこができるほど聞かされたあのACのCMで流された詩の一部です。
震災を思い出すからいやだという方も多いかもしれませんが、それまで詩はもちろん作者のことも全く知らなかった石田はちょっと興味を持って調べてみました。
作者は、金子みすゞ。
26歳で他界しています。
自殺だったそうで生まれは裕福、20歳過ぎまでは苦労のない幸せな人生だったようですが、とんでもないろくでなしと結婚したことで人生が暗転し、離婚。3歳の子供がいましたが当時は女性の地位は低く親権が認められないため何とか実家にその子を引き取るために命を賭して遺言で子供を守ったということです。
本当にやさしい良い母親だったのでしょう。
この方のいくつもの素晴らしい詩の中で『わたしと小鳥とすずと』と云う詩がありますがその詩の最後は、「みんなちがって、みんないい」で終わっています。
そうなんです、みんないいところを持っているはずなんです。
お店だって・・・。
『長所を探し、思い切り伸ばせ』
経営診断でお呼びがかかるのは毎度のことですが、どこへ行っても聞くことがあります。
「看板メニューはなんですか?」
ほとんどのお店は「特別なものはありません」「あえて言えばこれですかねえ」といった程度です。
たまに「ウチのお客様は○○が旨いと言ってくれる方が多いですね」という言葉に出合うことがあり、「ほう、それはどんな商品なんですか?」と水を向けると愉しそうになめらかな言葉でイキイキそれを語り始める方がいらっしゃいます。
「なるほど、それは美味しそうですね。ボクも食べたくなっちゃいましたよ」。
問題はここからなのです。
ヒトが食べたくなるほどの説明ができて、お客さまも喜んでいる現実があるのに「そのことが、メニューにも店外にもサービス接客にも出ていないのは残念ですね」と問いかけると、
「そういうの嫌いなんですよね。なんだかおこがましくて、食べた人が判断してくれればそれでいいかなと・・・。それに私はそんな一流の修行もしてない、凄い料理人でもないから・・・」。
私はいつも思うのです。
一流とは何だろう。
少なくとも私が思う一流はお客様が褒める商品を提供し、店を好きになって来店してくださり、愉しい時間をその店で過ごされることを実践している方のことでしょう。
名のあるレストランで修業したり、凄いコンテストで入賞することが一流の証ではないと考えます。
ただし、一流が商売に成功するかというとまた違うのです。
商売には商売のノウハウがあるわけです。
その最初が“表現”なのです。
《おこがましい》などと消極的だと損をするのです。
損をするのは商売ではありません。
じゃあ、表現することができるものがない店はどうすりゃいいんだという声があるかもしれませんが、それは“見つける“ことから始めるべきなのです。
どんな店でも出数の順位はあるもので一番は存在するのです。
それをいかにブラッシュアップするかが商売だとするならばまさに見栄の一流はいらないのです。
ブラッシュアップされたものは個性を持ち、まさにオンリーワン。