石田義昭の【飲食店 繁盛ダネ!】その139

定時制高校の先生から研究者に転じて、2015年ノーベル賞を受賞した大村教授が生き方を語った時、

「金を残すのは下、仕事を残すのは中、人を残すのが上」

という言葉を引用されていましたが、なるほど、私たちは金のために何かを忘れてしまうことが多いようです。

同じその次期、ワタミの渡邉元社長が自殺した従業員の親に謝罪し、全面的に非を認めました。

マスコミから持ち上げられ、事業を拡大し、上場を果たして莫大な創業者利益を上げた裏には血の涙を流す部下たちがいたのです。

ようやく和解という結果になりましたが、会社もブラック企業の代名詞のようになってしまい危うい状況のようです。

いったい、事業をどう考えるべきなのでしょう。

 

『店(会社)は長く長く信頼され愛されなければいけない』

「ボク、前は繁盛店を持ってまして、安泰だと勘違いして、更に拡大するために新進の成功社長の会に高い会費払って入って、頻繁に付き合い会合に明け暮れていたら、いつの間にか店はボロボロになってました。」

「事業や店は繁盛してからが問題で繁盛は通過点なんだよ。

繁盛するというのは愛され続けるためにどうするか、という問題を抱えたということなんです。

厄介なのは『愛される』というのはお客様だけではなく、社員にもという点です。」

これから再起しようと相談に来た方との会話です。

お客様に愛され、社員に愛されるということは簡単ではありません。

すべての人に愛されるなどということはあり得ません。

それぞれの個人が全員満足するように事業をすすめるのは不可能と言っていいでしょう。

ただ、目指している努力を感じてもらうことはできるはずです。

恐らくワタミさんも創業時はメンバーもトップと夢を共有することで大きな満足があり、CS(お客様満足)に向かって自分の不安や不満を耐え忍んだのでしょう。

ところが上場という目標を達成し、金を手に入れ巨大企業になったことで更なる稼ぎである数字との戦いにベクトルが向いてしまったのではないでしょうか。

会社は継続させていく流れの中で「時流と顧客の変化」という環境を受けるものですがそれに対応するのはその時点で存在する人間(社員)です。

創業時の経営者のカリスマ性は代々引き継げるものではありません。

会社そのものに「お客様を愛し愛される努力・社員を愛し愛される努力」が見えていないと継続に支障が出てしまうのです。

つまり、繁盛店になったからといって終わりではなく、始まりなのだと自覚したところから本当の経営がはじまり、その努力が継続の道となるのではないでしょうか。

100年企業に向かって頑張ってください。

ではまた。